俳句関係リンク
すでに廃刊になった「俳句朝日」に投稿した俳句のうち、主のバンコク、プノンペン、ビエンチャンを詠んだ句を集めてみました。
うまい、まずいは別にして、読み直すと当時の情景が即座に甦ります。
俳句は人生の一時期を簡潔に表現できる方法だと改めて思います。
1999/7/14 佳作入選 泥水の捌けぬ市場や驟雨去る
1999/8/14 佳作入選 蚤虱血の吸ひやすき旅行客
蚤虱馬の尿する枕もと               芭蕉

昨夜「奥の細道」(寺田 農 朗読)を聴いていたら上の句がでてきて、エッ?と驚きました。

味坊はモロッコの田舎ホテルを思い出して下記の句を詠んでいたからです。

蚤虱血の吸ひやすき旅行客           

弁解がましいようですが、味坊は芭蕉の句を知らなかった。というよりすっかり忘れていました。プロの俳人ではないのでお許しください。

モロッコの田舎ホテルには巨大な虱がいます。味坊は絶好の餌食にされました。

腕、腿、腹、背中、ところ嫌わず食いつかれ血を吸われたのです。味坊は一晩中のたうちまわりました。

翌朝赤く腫れた腕を見せると、フロントの女の子はケラケラ笑うじゃありませんか。

笑いごとじゃないだろう、ツラの皮の厚い女だ!これじゃ虱も逃げだすわ!

味坊は怒りでめまいがするほどでしたが、言葉が通じないうえに、巨大な虱も食いつかない野蛮人なのだから、と無理に自分を納得させて退散したのでした。
2003/7/14 秀逸入選 人埋めしあまたの穴ぞ草茂る
有馬朗人氏選評:「プノンペン」と前書のある句。戦争の死者か、残虐行為の犠牲者か、あまたの人が埋めてある。その穴の上に草が一面に茂っている。
2002/9/14 秀逸入選 黄砂降る運河に洗ふ褓かな
有馬朗人氏選評:黄砂が烈しく降ってくる日、運河でおむつを洗う。日本の運河でもよいが、中国のように思える。運河にたよる生活が見える。
2002/9/14 投稿 水牛の背や塗りたての畦なめり
2002/9/14 投稿 流るる藻夜汽車座席の硬きかな
2002/4/14 佳作入選 泥川の泥ふくれけり布袋草
バンコク−ノンカイ間、汽車の旅は約11時間かかるとガイドブックにはありました。

でも実際に乗ってみるとたいてい2時間くらい遅れる。早くつくことは決してありません。

バンコクからタイ北東最深部まで単線で行くのですから、時間通り到着しろというほうが無理な注文です。

これは90年代前半の話です。

2009年4月現在ではどうなっているのでしょうか。新幹線が開通したという噂は聞かないので、たぶん相変わらずなのでしょう。

タイのゆったりぶりが恋しい味坊には、変わらないでいてほしいという願望があります。

ジーゼルが引っ張っている列車ですから、目いっぱい力を出してもスピードは出ないようです。

それにしてもなんでこんなに遅いんだ?歩いていると同じじゃないか!!

半死半醒の寝ぼけ眼で窓外を見ると、黄褐色の泥川の上を渡っているところでした。

泥川が橋すれすれにまでふくれあがっているじゃありませんか。

ぎょっとして眠気がすっ飛ぶ光景でした。

たぶん上流のどこかで雨が降ったのでしょう。

後から後から流れて来ては橋をくぐり、視界を去って行くのは布袋草。

Oh ! My Good ! Bull Shit ! 神様!仏様!布袋様!

早く渡ってくれ!

味坊は顔面をひきつらせて祈ったのでした。
2000/3/14 投稿 舗道炎へ芸売る象の涙かな
1999/7/1 現代俳句中新田未来賞入選
街灼くる曲芸の象皺深し  
2000/3/14 バンコクラムカムヘン地区
舗道炎へ芸売る象の涙かな

1999/7/1
 バンコクラムカムヘン地区
街灼くる曲芸の象皺深し

約8年を隔てながら同じ光景を詠んでいます。同工異曲との非難を承知で詠みたくなるのは、あの折の象の悲しげな表情が何度となく蘇ってくるからです。


灼ける舗道で芸を売るあの象は、たしかに涙を流していました。深い皺をいたるところに刻みながら・・・

味坊は生きる苦しみを今味わっています。
2002/3/14 佳作入選 ドリアンの腐臭濃き辻野犬群れ
2001/12/14 投稿 泥川の泥ふくれけり布袋草
2001/12/14 投稿 稲光水瓶床にありにけり
2003/6/14 投稿 木下闇(こしたやみ)仏陀の御手の埋まるとぞ
2003/10/14 佳作入選 柱廊を抜けて緑の風なりき
2001/9/14 秀逸入選 娼婦ひとり青唐辛子食ひちぎる
有馬朗人氏評 ひとりで辛い青唐辛子を食いちぎっている。娼婦の悲しさ、烈しさが描かれている。
2001/9/14 投稿 炎熱の背越しに査証求めけり
2001/9/14 投稿 ここにしも凱旋門あり大日陰
2003/5/14 秀逸入選 雲南の林檎に傾ぐ小舟かな
有馬朗人氏の選評は本号散逸したため、掲載できないのが残念です。

この句は実景を描写したものではありません。あえて言えば、100パーセント想像の句です。

タイ北部チェンセーンの町から約10キロほど北へ行くと、かつて麻薬の生産・密売拠点といわれた「ゴールデントライアングル」のタイ側に至る。当時はすでにケシ畑は姿を消していました。

メコン川の土手には麻薬の代わりに様々な商品を詰めた段ボール箱が並べられていて、運搬する船を待っている様子でした。

段ボール箱に近づくと林檎が強く匂う。対岸のミャンマーあるいはラオスに運ぶのか、逆に対岸から運ばれてきたのか、旅人の味坊にはわかりませんでした。

ただ目の前の大河メコンの流れを見て、とっさにその林檎は中国雲南地方から小船にのせられてここまでたどり着いたということにしたのです。

積荷の重さに傾ぎ、いまにも沈没しそうな小船が自然に目に浮かび、この句を詠みました。

実写を重んじる子規はこの句をたちどころに捨てるでしょう。

なので、味坊は子規よりも蕪村の詠風に魅力を感じ、肩入れしたいと思っています。

さしぬきを足でぬぐ夜や朧月                        蕪村

公達に狐化けたり宵の春                          蕪村
      
2002/1/14 佳作入選 辺境や滅びし国の扇風機
2001/9/14 投稿
ビエンチャンのホテルに泊まった折りの句。

ホテルとは名ばかりの木賃宿。部屋に窓がないのだから驚きです。天井近くにわずかに明りとりがあるばかり。

なぜ宿屋に窓のない部屋があるのか不明です。推測するに大きな部屋をベニヤ板で仕切って六部屋ぐらいにしたのではないしょうか。

壁にエアコンがついていて、感心に動いていました。ただしその轟音の割には冷え方は控えめです。

そのものすごい音にどこのだれが作ったのだろうと興味をそそられ、仔細に検証したところ、made in USSR とありました。

滅んだ国のエアコンが「辺境の都」ビエンチャンで働いていたのです。

死に代わり生き代わりするのは人ばかりではありません。

人より」もっと早く滅びる国があるのですね。

ここで「辺境」は「極東」と同じ意味で使っています。「極東」の1小国が経済大国になることもあるのですから、「辺境」がいつかメコン河を支配する国になる可能性なきにしもあらずです。
2007/2/14 投稿 老僧や赭色褪せたる渋団扇
2007/2/14 投稿 鞠(まり)蹴れば裸足のしなふ広野かな
2005/8/14 佳作入選 旧式の銃把の汗のぬめりかな
プノンペン射撃場でライフルを実射したときの句。

中国製ライフルの銃把はてらてら光り、戦闘員の汗が染みこんだようなぬめりを感じる一方で、風狂を求める過客の立場に後ろめたさを覚えたものです。
2005/8/14 投稿 薄明へ托鉢僧の素足かな
2005/8/14 投稿 魚醤油の臭ふ市場の簾かな
2005/8/14 投稿 大鯰屋台の鍋のたぎりけり
2005/12/14 佳作入選 薄明へ托鉢僧の素足かな
チェンマイの夜明け。

眠れぬままにベッドを下りて、安宿の玄関を出ると、薄闇が漂うなか、市場はすでに目覚め、喜捨を欲する善男善女(正確にはほとんど老若の女人)が道沿いに並んでいました。

僧侶たちは、恭しく差しだされた供物を礼をすることなく鉢に入れ、颯々と歩いていきます。カーキ色の僧衣をまとった僧侶の何人かは素足です。これが僧侶本来の姿。

日本の大半の坊主は修行を忘れた俗人だ、と無言で批評しているようです。
2005/10/14 佳作入選 捕われの雷魚跳ねたる驟雨かな
バンコク東部ラムカムヘン地区のソイ(小路)で見かけた寸景。

藍色の野良着?を着た中年のおっさんが道端をハダシで得意そうに歩いていました。手に下げた大きな魚篭には、巨大な雷魚が入っています。

そこに突然のスコール。

南国のスコールは、一天にわかにかき曇りという古い表現がぴったりで、たちまち大粒の雨粒がドーッと降ってきます。

おっさんはスコールに動じることなく歩き続けます。

雷魚は川に戻れると勘違いしたのか大暴れ。雷魚の気持ちがよくわかります。
2003/12/14 秀逸入選 ハイビスカス廃兵低く唄ひけり
有馬朗人氏選評 
プノンペンと前書がある。この光景は従ってカンボジアのものである。
ハイビスカスの下で廃兵が低く唄って銭を乞うているのであろう。哀感あり。
2001年俳句朝日賞応募作のうち海外詠12句  
プノンペン刑場跡 炎熱や頭蓋眼窩(がんか)の穴暗き
プノンペン私娼窟 薄衣の二の腕細し金盥
味坊が泊まった旅社から歩いて五分ほどのところに、4・5軒売春宿が連なっていました。

昼に近い朝、表を通りかかると、幼い娼婦が道端に金盥を持ち出してお洗濯。薄衣をたくしあげた二の腕の細いこと!

百代の過客はこの娼婦のうえを通り過ぎるだけなのでしょうか。
プノンペン私娼窟 朝虹や娼婦幼き瞼腫れ
チェンライ 炭火爆ぜ大鍋の粥煮立ちけり
ビエンチャン 大河乾き投網の子らの遠きかな
ビエンチャン 辺境の市炎天の真下なり
世界の盟主だったイギリスから見て、日本は極東の1小国でした。

歴史の歯車は回って、日本は「経済大国」といわれはじめてからおよそ30年くらいたつでしょうか。

ビエンチャンは「経済大国」になじんだ住民の目からは辺境の都にみえるでしょう。

4月・5月、辺境の都・ビエンチャンの市場は、炎天の真下にあって毎日じりじりと灼かれます。

「経済大国」の恵みにほとんど無縁だった味坊は、不況下の日本にあって辺境の市場よりも烈しく身を灼かれています。

バンコクラムカムヘン地区 紅剥げし爪もて鯰むしりけり
バンコクラムカムヘン地区 西日射す屋台の鶏の逆さ吊り
西日がまだカンカンに照っている午後四時頃。

夕食をとる客に備えて新たに仕入れたニワトリが、屋台の軒先にさかさまに吊るされます。

こんがりキツネ色に焼かれたトリのうまそうなことといったら・・・

たしかカオマンガイという一膳飯でした。

顔なじみになったおばさんは、味坊の注文を聞く前に、中華用の大包丁をふるい、吊るしたトリを切り裂き、トントントンときれいな音を立て、7・8片に切り、アルミ皿に盛ったタイメシの上にのせる。

甘辛いタレをかけると、カオマンガイのできあがり。

パクチー(香菜)を振りかけたトリガラスープ付きなのがうれしい。

スープ付きカオマンガイのお値段は約50円。

小柄なおばさんの顔は汗と脂でてらてら光っています。午前十時頃から午後八時ごろまで毎日働いていました。

ときに摂氏40度をこすラムカムヘンの気温の中で、ひたすらカオマンガイを商うのは、並みの苦労ではありません。

味坊は、生きる難しさにに直面するたびに、このおばさんの元気さを思い起こします。
バンコクラムカムヘン地区 子を背負ひ牛断つ鉈よ油照
バンコクラムカムヘン地区 干天や野犬わが裾咬む歯音
来る日も来る日も、晴天。炎天。干天。味坊はげんなりして裏道を歩いていました。

と、いきなり野犬が足元に襲いかかり、歯音を立てました。反射的に足を引き、かすり傷ですみました。

タイの犬を見くびったせいです。いつもぐったり寝ているばかりと思っていた野犬が昼日中襲ってきたのです。

その野犬は味坊を見慣れぬ外人と見て歯をむきだしたのでしょうか。

異郷の国では思わぬハプニングが起こるものです。
アイガー北壁登攀 アイガーの壁尺蠖(しゃくとり)の動かざる
2000/8/14 投稿 五ペンスの温もり果てし暖炉かな
この句の五ペンスは七角形のイギリス硬貨を指しています。

安アパートの一室には意外にも暖炉が設けられていました。火をつけるには五ペンス硬貨を入れる。ちょうど自販機の飲物を買うようなあんばいです。

その頃の貨幣感覚では五百円くらいだったでしょうか。

温かくなった暖炉は、情けないことに30分ほどで火が消えてしまうのです。

かつての超大国イギリスはかくまで落ちぶれてしまったか・・・自分の貧しさを棚に上げて、当時味坊が抱いた感懐です。
2000/8/14 投稿 倫敦塔(ロンドン塔)外套足に絡みけり
2005/5/14 投稿 捕われの雷魚跳ねたる驟雨かな
1999/5/14 佳作入選 香菜を散らしてこれもなづな粥
1月5日前後。バンコク・ラムカムヘン地区の早朝。

表通りからソイ(小路)への曲がり角には、毎朝粥売りの屋台がでます。

お粥は市民の手頃な朝食です。ビニール袋の大きいほうに粥、小袋に調味料を入れてくれます。

調味料にはおなじみのパクチー(香菜)が入っています。

味坊は粥を丼に入れかえ、調味料をふりかけました。これもなづな粥のひとつと思い、松の内を味わったのでした。
2005/5/14 投稿 田水沸き水牛の泥乾きけり
2005/5/14 投稿 メコン遠く足裏灼くる河原かな
ビエンチャン側からメコン河の河原を歩いたときの句。

ゴム草履をぬいでハダシになると足裏が灼けます。河原の小石が南国の太陽に灼けているからです。

メコンの河面ははるかかなた。乾期になると水量が少なくなり、堤の上からも河面はみえません。

十人前後の子供たちがサッカーボールを蹴りあいながら川面に向かっていました。

メコンの広い河原とボールを蹴る子供たち。

足裏を灼きながら佇む味坊。

一人旅の寂寥にとつぜんとらわれた味坊でした。
2006/10/14 佳作入選 ラマダンに慣れし過客や熱砂踏む
ラマダンは断食月と訳すのでしょうか。浅学な味坊には定かではありません。

スペイン本土最南端から14キロほどのジブラルタル海峡をわたり、スペイン領セウタを通り過ぎるとモロッコです。

人々はラマダンの間、日中は食べ物を口にしません。食堂はどこもひっそりしています。

ラマダンをはじめて目撃した味坊は仰天しました。炎熱の荒野を長距離バスに揺られ、飢えと渇きにフラフラになって到着した町が、断食のさなかとは・・・

しかし抜け道はあるものです。食堂のおやじにおそるおそる飯を頼むと、いとも簡単に作ってくれました。外国人は断食するにはおよばない、というのです。「郷に入れば郷に従え」の諺は単なることわざであって、国王閣下の厳命ではないんですね。よかった、よかった。

というわけで、遠来の旅人は断食する人々を尻目に、右手にコーラ、左手にシシカバブを持って、ふたたび炎熱の荒野に踏み出すのでした。

目的地は名画の舞台「カサブランカ」。ウーン、反骨のダテ男と世紀の美女の名前が思い出せない。口惜しいけど今夜はこれまで・・・

オッと、イングリット・バーグマン。オッと、ハンフリー・ボガード。味坊の記憶力はまだ捨てたもんじゃないぞ!
2005/9/14 投稿 破れ壁落着き給ふ守宮かな
2004/11/14 佳作入選 滴りや獣の奔る闇森々
チェンライからチェンマイを目指して走る夜行バスが故障で止まってしまいました。

進行左側は深い峪。右側はそびえる崖。

タイにこんな山奥があるのかと眠りを覚まされた味坊は驚きました。渓谷は深い闇に閉ざされています。大小の木々がうっそうと茂る崖は、どうやら落石の心配はないようです。

バスのヘッドライトの先に獣が奔りました。猿か鹿か猪か。まさか熊ではないでしょう。

崖を伝う清冽な滴りがヘッドライトに光っています。

味坊は滴りを飲み、顔を洗いました。冷たさにすっかり目が覚めました。

エンジンの音が森々たる闇に吸われていきます。味坊はその深い闇に思わず身震いしたものです。
2005/11/14 佳作入選 鉈一閃ドリアンの棘鋭き
バンコク東部ラムカムヘン地区の街路で見かけた寸景です。

大きなドリアンは、たて30センチ、横20センチ、重さ5キロほどになります。特に凄いのが外皮を被う棘の鋭さです。

客に応じて店頭の若い衆が、このイガイガの化け物に鉈をハッシと打ち込む。俎板においてかち割るのではない。手袋をした左の掌にのせ、鉈を一閃するのですから、たぶん手元が狂えば手首が飛ぶでしょう。

バンコクの若者の心意気に感心したものです。
2006/4/14 佳作入選 南洋のたそがれてなほ砂日傘
南洋ではあまりに茫漠としているので、はじめフアヒンを上五にするつもりでしたが、よほどのタイ・オタクでなければフアヒンはピンときませんね。

パタヤといえば色好みには名の通った歓楽街。その証拠にパタヤ風俗街の日本語サイトは毎日大賑わいです。

フアヒンはタイ湾を挟んで、名だたる風俗街パタヤの対岸にあります。王室の避暑地でありながら、いまだ鄙びた漁師町の面影を残している町です。

平日の昼間、浜辺にはビーチパラソルが並んでいます。客はほとんどいません。日暮方、しまい忘れたのか、店員がズルを決め込んだのか、浜辺の端にビーチパラソル(砂日傘)が一本傾いたまま傘を開いています。

それを見つめる三十才を過ぎたバックパッカーの気持ちをおわかりいただけるでしょうか。
2005/5/14 投稿 糞ひれば炎ゆる広野は南瓜色
プノンペン郊外の射撃場に向かう途中、便意を催し、広野のところどころに茂る潅木の影にしゃがんだ味坊。

広野は炎えるように熱く、土の色はカンボジアのせいか南瓜色に近い。

潅木は背が低く、葉が疎らなので衝立の代わりにはならない。

しゃがんで尻を出した格好は、人にはあんまり見せたくないものです。

ところが折悪しくワゴン車に乗った日本人観光客が通りかかった。若者ばかりなのでいっせいに奇声を上げ去って行った。

からかわれた味坊は面白くない。「クソッ!死ね!」と怒鳴り返しました。


後で振り返ると腹を立てるほどのことではない。味坊の修養が足りなかっただけなんですね。

大徳の糞ひりおわす枯野かな            蕪村

味坊と比べて、大徳の悠々たる姿がいっそう際立ちます。

大徳の糞ひりおわす枯野かな            蕪村
2005/5/14 投稿 見上げてよ炎天にまでされかうべ
プノンペン近郊のキリングフィールドには、寺を模した高い慰霊塔があります。

そのてっぺんは青空を突き刺すほどに細く高い尖塔です。

慰霊塔の一階、二階、三階、四階、五階にはされこうべがぎっしりつまっています。

慰霊塔の入り口近くで見ると、棚に晒されたされこうべは炎天まで達するようです。

日本政府は、されこうべの山を築いていた当時のポルポト政権を支持していました。

激動する歴史の中で、選択することがいかに難しいか・・・

慰霊塔に近づくと、ウイ、ウイ、ウォーンという呻き声が聞こえてきます。

2004/12/14 佳作入選 小商(こあきなひ)筵灼かるる都かな
ビエンチャン中央市場近くの道端。

大通りと同じくらい広い道端に、筵を広げ、果物類を並べて商っているのは年配の女性が多い。用があって店主が留守をするときは子供が代わって店番をするようです。

真昼にかかってくるとだんだんに木陰が短くなります。

商品とともに筵も南国の太陽に灼かれてきます。

ビエンチャンはラオスの都です。そこで地べたに敷いた筵まで灼かれながら商いをして暮らしを立てる庶民。

大不況でクビ切られた日本の労働者は、ビエンチャンの庶民よりも、容易に生きるツテを見つけられるか。

すくなくも味坊は、その難しさに毎日地団太踏んでいます。

旅あれこれ俺の小文
2005/8/14 佳作入選 旧式の銃把の汗のぬめりかな 
プノンペン射撃場でライフルを実射したときの句。

中国製ライフルの銃把はてらてら光り、戦闘員の汗が染みこんだようなぬめりを感じる一方で、風狂を求める過客の立場に後ろめたさを覚えたものです。
2005/8/14 投稿 薄明へ托鉢僧の素足かな
2005/8/14 投稿 魚醤油の臭ふ市場の簾かな
2005/8/14 投稿 大鯰屋台の鍋のたぎりけり
2005/12/14 佳作入選 薄明へ托鉢僧の素足かな
チェンマイの夜明け。

眠れぬままにベッドを下りて、安宿の玄関を出ると、薄闇が漂うなか、市場はすでに目覚め、喜捨を欲する善男善女(正確にはほとんど老若の女人)が道沿いに並んでいました。

僧侶たちは、恭しく差しだされた供物を礼をすることなく鉢に入れ、颯々と歩いていきます。カーキ色の僧衣をまとった僧侶の何人かは素足です。これが僧侶本来の姿。

日本の大半の坊主は修行を忘れた俗人だ、と無言で批評しているようです。
2006/10/14 投稿 黄砂流るる大河の堤冷し酒
2004/10/14 投稿 明け六つや腿の絡みし竹夫人
苦ーい、苦ーいバンコクの一夜の思い出。女は味坊に背を向け、竹夫人を抱いて寝入っている。徹頭徹尾嫌われた味坊をご想像ください。
2005/9/14 佳作入選 スコールや茣蓙一枚の店仕舞
ゴールデントライアングルの一角、チェーンセーンで見かけた茣蓙一枚の店。何を売っていたかは忘却のかなた。

店番の若い女の子は驚くことに日本語の片言を話しました。味坊の推測するに、日本で働きはしたものの、一ヶ月足らずで官憲の非情な強制退去にあったのではないか。

あるいはゴールデントライアングルまで足をのばす日本人客が案外多く寄っていくのか。

いずれにしろ店仕舞は簡単です。スコールが来れば商品ごと茣蓙を巻き、どこかの軒先に避難すればいいのですから。

ゆったり社会・タイにはしばしば見られる人生のひとコマです。
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